
当社祭神は大山咋命(おおやまくいのかみ)・大己貴命 (おおなむちのみこと)の二柱を奉る、往古比楽加と称し、
安産川々上古宮と称する処に鎮斎し奉る、寿永二年五月十一日 源義仲平軍を追討、当社に参拝せられ表白文を捧け熱誠軍の
勝利を祈願らせる、然るに其後安産川洪水の節、社も又水難に罹り神器並宝物悉皆流失せり、茲に土民力を合わせ現今の地を撰、
社殿を造営し遷し奉る、現に右白文は稀有の宝物として伝来す。
白山市平加町はその昔「比楽(ひらか)」と呼ばれ延喜式にも見える様に、大昔から知られている村でした。
