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神社の由緒・歴史Information

安産日吉神社の由緒

安産瓦当社祭神は大山咋命(おおやまくいのかみ)・大己貴命 (おおなむちのみこと)の二柱を奉る、往古比楽加と称し、 安産川々上古宮と称する処に鎮斎し奉る、寿永二年五月十一日 源義仲平軍を追討、当社に参拝せられ表白文を捧け熱誠軍の 勝利を祈願らせる、然るに其後安産川洪水の節、社も又水難に罹り神器並宝物悉皆流失せり、茲に土民力を合わせ現今の地を撰、 社殿を造営し遷し奉る、現に右白文は稀有の宝物として伝来す。

安産日吉神社の歴史

サービス名白山市平加町はその昔「比楽(ひらか)」と呼ばれ延喜式にも見える様に、大昔から知られている村でした。
この村の守護神としての「安産日吉神社」の鎮座も極めて古いといわれています。
手取川が比楽河と言われて堂尻川の河口に注いでいた頃、比楽湊として北前船の重要な拠点として繁栄していて、安産日吉神社もこの地にあったといわれています。しかし、暴れ川であった比楽河の度重なる洪水により現在の地に建立されたといわれています。
当時の拝殿は江戸末期に神殿は明治末期に改築されたものといわれています。
その後、平成12年9月に改築され現在に至っております。

安産の水と安産日吉神社

サービス名
この社の東側にはかつて比楽河が流れていたこともあり、その伏流水の湧水が多く流れる安産川はとても澄み切ったきれいな川でした。
この水を汲み、口をそそぎ、手を洗い、身を清めて船人は安全を、百姓は五穀豊穣を、女性達は良き出会いと安産をお祈りしてお祭りが執り行われています。
お宮の名の如く安産の神様として祈念し、安産の水をいただいたものは難産しないといわれ、参拝者の多くは女性で占められていました。
又、他社に余り見られぬ女性からの絵馬や燈篭などの奉納品も少なくなく、安産日吉神社は女の神様といわれています。
昔からの言い伝えでは、本吉日吉神社(藤塚神社)とは雄神・雌神の関係で、毎年春季例祭は、雄神が平加の雌神のもとを訪れるのだという逸話があります。